皆さん、こんにちは。
今日は私の札幌での仕事探しの実体験を書かせて頂こうと思います。
私は前職東京で10年程、派遣でIT系のエンジニア(ネットワーク系)として働いていました。
札幌には36歳で帰って来ていたものの、家庭の事情があり、結局38歳で札幌で仕事探しを始めました。
ブランクが2年程あり、正社員経験も少なく、不利な条件。
最初は正社員雇用を前提に何社かのエージェントに登録や直接企業へ
履歴書を送りますがオファーがありません。
そもそも私の業種でソコソコのお給料を頂ける仕事は東京・大阪・福岡に集中しており、
求人自体も両手で数えらる程、紹介して頂いた仕事自体も片手で数えられる程でした。
そして大手のIT派遣会社は札幌でサービスを提供すらしていませんでした。。
そこで他業種を探しましたが、募集数が少なく外回り系の営業職が殆ど、
自分の働ている姿が描ける職はありませんでした。
結局、仕事が決まらず東京へ戻る事も視野に入れましたが、諦める事が出来ず
札幌で求人数の多いコールセンターでのバイト(仕事)を始めました。
サービス申込者に対する簡単なヒアリング業務という内容でしたが
電話対応業務をやった事の無い私に取っては、言葉使い等勉強になり、
その後の仕事に役立つ良い経験だったと思っています。
数週間働き気付きましたが朝10時から夜18時まで拘束され、時給1200円。
周りは若い子か定年された方。
これが20代なら未だしも、40代で貯蓄も数百万しか無い。
何とか一人暮らしはやって行けるけれど行き詰って行く事は容易に想像できました。
毎日仕事が終わってからネット上のあらゆる求人を検索し、
少しでも時給が高く、今までの経験がアドバンテージに
なりそうな求人を探し、片っ端から応募していました。
エクセルで毎月の経費と貯蓄を計算し、家賃は最低レベルしか出せない現状。
貯蓄も1年で幾らできるだろう。人生で過去最高に必死になっていた時期だったと思います。
途中、マイクロソフトのサポートの仕事が決まったとの連絡があり、
1カ月後から開始と胸を躍らせていましたが直前で無くなったとの連絡があり落胆した
という事もありました。
その時期、実家に居るのが気まずくなり始め、且つ冬で交通費が出ない仕事だったので
札幌の僻地に住んでいた私は毎日ホテル住まいをしていました。
(その頃はコロナ真っ只中でホテルの宿は代はナント1泊3000円。しかもソコソコ綺麗なホテル)
そんな中、ホテル滞在中に面談を受けて登録した派遣会社から
IT業界ではあるが少し畑違いのジャンルの仕事の紹介を受けます。
誰もが知っている一流企業でした。
内心無理だろうと思いました。
私は技術系の仕事で技術力はあったものの、提案力・商談力等は皆無、
というか極度のあがり症で極力そういった仕事を避けて来た人生。
但し、今回ばかりは必死さが勝っていました。
時給3200円。東京ではたまにある時給ではありますが
北海道ではマズありません。千載一遇のチャンスです。
面接までに長いブランク生活で少し太くなった体に合わせ
深いネイビーのスーツを新調し、ブルーのワイシャツ、シルバーとホワイトのネクタイを新調
靴も新調、身なりを可能な限り整え面談に挑みました。
人は第一印象で9割方その人を判断しますから。
10万そこいらの出費でその後の年収が数百万変わるのであれば安いものです。
面接はシュミュレーション等全く意味がなくなる程
あがりまくりましたが、
面接にいらっしゃった本部長が
本社(東京)から出向者で私が10年間派遣で在籍した会社
(ITインフラ業界ではトップクラスの認知度)を知っていた事で私をデキる人間と勘違いして頂き?
何とか採用されるに至りました。
それから4年経ちますが、未だこの会社で働いています。(正直つまらない仕事に飽き気味ですが。)
貯蓄も数千万に達し、この先に対して不安を感じる事はありません。
(投資の暴落が心配ですが。。。)
多動力、堀江貴文さんの本のタイトルですが
ホント人生、動かないと変わらないですね。
やろうとは思うがリスクを考えて躊躇い、それを少ししたら忘れてしまうのが多くの人間なようですが、思い立った事は先ず行動が大事だと気付きます。
小利口という言葉を堀江さんは使われますが
少し利口だと失敗のリスクを考えるので行動できないという事のようで、何も考えない馬鹿の方が成功するとの事です。
ホント、勉強になります。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
私のような一般的に考えると先の無いような人間でも
強い意志を持てば人生は好転して行っています。
日本のようなセーフティーネットが整った国では何があっても死ぬという事は
マズ無いかと思います。
やりたいと思った事は考えずに、取り敢えず動いてみる事を強くお勧めします。
動いてみないと何もわかりませんからね。
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